「たゆまぬ努力をすること」と「盲従しないこと」
ブラック企業で成功を目指すことは、限りなく巨大な絶望の中で、砂金を探すようなものだと思う。
「 成長できる」「会社を大きくできる」といったモチベーションを保ち続けることができるのはごくわずかで、大抵の人間は疲労とストレスで沈んでいく。
まさに僕もそうだ。長時間労働と社長からの罵倒、休めない土日、
会社で過ごす3連休。
一時期は本当に潰れそうになったが、今は少し目が冴えている。
今2つ、堅持しようと考えていることは2つだ。
遊ばず、寝ず、嘲笑されても努力は続ける
僕の通っている塾は熱血だった。時代に逆行したスタイルをひたむきに貫いていた。例えば10時間ぶっ続けの冬期講習や受験合宿など。
昭和の高校野球部もかくやといえるほどの精神論ぶりだった。
なかでもその努力の誦句という言葉があり、その温度感といえば
昭和の野球部を通り越して戦時中とも思えるほどだ。
僕はこの暑苦しさに心を打たれるほど惚れ込んだ。
《努力の誦句》
自信と信念は唯不断の努力によってのみ形成される。
不断なる努力は我が血となり、肉となり、汲めども尽きることなき叡智となって、我をして大勝利せしむることを確固不抜たる不退転の心を以て確信する。
他人が遊んでいようとも、他人が寝ていようとも、他人が嘲笑しようとも、最後の答案が回収されるまで、妥協することなき不断の努力をすることを我は今新たに決断せり。
中学3年生クラスの授業が始まる際、この句を
皆で言わされる。
声が小さければ、やり直しだ。
大体の生徒が嫌がるのだが、僕はたまらなく格好良いと思い、
努力の誦句を楽しみにしていた。
全てのノートの表紙にコピーをとって貼り、それを見て
受験勉強の原動力としていた。
「他人が遊んでいようとも、他人が寝ていようとも、他人が嘲笑しようとも」
特にこのくだりが好きだ。
休まずに努力をすることは難しい。自分を抑制することの厳しさを、
多くの日本人は高校受験で知る。
僕は遊ばず、寝ず、嘲笑されても勉強をし続け、鉢巻を巻き、
ともかく勉強をした。夢中でやる勉強は楽しかった。トリビアの泉という
大ヒット番組があったが、それすらも我慢して勉強に熱狂した。
結果も出た。自分の伸びが実感できるのは楽しかった。
寝食を忘れて励むという言葉があるけれども、それをやれるほどの
気合があれば、余計な我慢はいらない。
たゆまぬ努力とは、そういう時の頑張りを言うのだと思う。
ところで、
勉強をしているときは、皆が揃って「兎に角勉強をしろ」といった。
しかし、仕事を始めると、「休め」と言われる。
1日に15時間勉強をすると手放しの賞賛が、
1日に15時間労働すると「ブラック企業」との嘲笑が待ち構えている。
しかし、
普通の努力なら、誰もしている。満足行くだけの成長をするには、
他人が休んでいても継続していく努力が必要だ。
仕事に熱狂することで、たゆまぬ努力を生み、
過酷な状況下でも生き残るのだ。
決して盲従はしない
限界地点にいると、自分で自分を支えるのが難しくなり、何かに頼ろうとしてしまう。
支えにしようとするのは大抵、宗教じみたもの、力強い言葉や人だ。
会社では、社長の哲学や、
理念なんかがそれに当たる。
目印にする程度なら良いが、
それに盲従するのは問題だ。
【日本語訳】 スレイヤー Slayer - Disciple (Japanese sub) - YouTube
スラッシュメタルバンドのスレイヤーはこううたっている。
I never said I wanted to be God's disciple
I'll never be the one to blindly follow
俺は決して神の従者になりたいと言わなかった。
そして、俺はこれからも 決して盲従はしない。
Discipleは、この世の憎むべき出来事が起きるのは、
神が人間を嫌っているからだとうたっている。
だから、自分は騙されない。神を手放しで崇めるような従者のように、
盲従はしない、と。
先導者を手放しで賞賛し始めると、裏切られたときのリスクが大きくなる。
裏切られるのが怖くて抵抗をしなくなる。
抵抗をしないのは、盲従である。
僕はこの前どうしてもきつかったので、
この会社に何かしてやろうと考えた。
そのとき、労基への電話する、という考えが浮かんだ。
電話一本で、上場しようと意気込むこの会社の未来を妨害できるのだ。
すると、自然と気持ちが楽になった。実に爽快だった。
何もできない自分が、一手にこの組織の未来を握っているかのようにさえ思えた。
自分はいつでも相手のはらわたの中にいて、
好きなときに毒薬をまくことができるのだ。
会社はあくまでも人生の踏み台であって、目的ではない。
ましてや他人の立てた会社である。貢献はしても良いが、
取り込まれるのはまっぴらではないか。
操られるだけの、盲従者から目を覚ますべきだ。