27歳の自分を振り返って、高学歴に頼りすぎてきた感が満載
ハーバードとか東大とかと比較して、早稲田が低学歴だと言われてしまうともう首をくくるしかないのですが、今までの扱いとして、学歴に助けられ、むしろ助けられすぎて自己研鑽を怠りすぎたな、という考えがあります。
そう思うには、高学歴って得したこともあるし、損したこともあるっていう考えがあるからで。
なので、その得した損した的な話を書いてみたいと思います。
高学歴であることは、「良い地位」を手にすることと同じ
こう書くと選民主義的で嫌味かもしれませんが、高学歴というのは良い地位を手に入れることと同義であると思います。
地位とは、(本人の素質がどうあれ)本人を強くブランディングしてくれるもの。
この本人の素質を問わないということがミソです。
第二新卒の転職のときも、一部の会社では「高学歴だから」採ってくれた感があった
第二新卒のときは3つ内定をもらったんですけど、そこで評価してくれた地方の企業はひたすら高学歴であることを評価してくれました。
勉強ができるから、学問を頑張ってきたから。
結局その会社に入るのですが、入ってからも、会社の重役にはそうやってチヤホヤされていました。とても厳しいと言われる専務にも、「しょうきち(下の名前)ちゃん」と言われて可愛がられました。周りからは異常な溺愛ぶりだと言われました。
なんせ、その会社には高学歴がいなくて、
- 社員数4桁規模の会社なのに、早稲田卒の社員が僕以外ゼロ
- 社長の慶応卒に次いで僕が偏差値2番目
- 高校の偏差値ならダントツで僕がトップ(偏差値70台の高校卒がいない)
くらいだったので、珍しかったのかもしれません。
学歴は便利。でも、そのお得感に頼りすぎてしまったことは反省
学歴って、そういう意味ですごく便利です。仕事ができなくても(仕事ができるという証明がなくても)物凄い良いイメージをもって迎えてもらえるからです。
だから、今考えて、良い大学に行ってよかったという気持ちはものすごく持っているし、感謝もしています。
しかし、頼りすぎたことによって、ハングリー精神を失ってしまった感がすごいです。
高学歴になってもいいけど、学歴に踊らされてはいけない
高校時代の僕は、もう完全に学歴に踊らされていました。親から学歴至上主義を叩き込まれており、僕もそれが正しいと思っていたので、
- 学歴で人を見て、自分より高学歴だと萎縮し、低学歴だと図に乗る
- 学歴=権力だと思っている
こんな感じの、色々勘違いしていた痛いやつでした。今思うと恥ずかしすぎて死にたくなります。
筑波大学附属駒場とかの人や慶應志木に通ってるって人を見ると「あ、サーセン……」って感じになっていたんですよね。理由はもちろん、学歴で人を見すぎていたから。
逆に、地元の工業高校とかで腰パンしてる高校生を見ると「ああ、こいつらクズだなあ」って思っていました。
怖いことですけど、良い学校に入るためだけに頑張った人って、学歴に縛られるんです。
当時は、ホリエモンが東大中退って知って「うそー!もったいない!!意味わかんない!!」って思っていましたが、今ならわかります。
彼の中で、そもそも学歴というのがそこまで優先順位として高くなくて、だから、ビジネスと天秤にかけたときに、ビジネスをとることができた。つまり、学歴に縛られていなかった。
(本人から確認したわけではありませんが、間違いなくこうでしょう……)
学歴に縛られすぎていた僕は、学歴を捨てる意味も、学歴を捨てる価値のものも、見つけられなかったのでしょう。
学歴の意味が薄れがちになった今、高学歴は目指すべき?
昔は学歴があるだけでそれなりの待遇があったので、学歴に縛られるだけの価値があったのだと思います。しかし、今は学歴の意味がやや薄れがちになってきました。
先述の通り、地方では多少チヤホヤされるものの、都会では早稲田なんてカラスみたいに溢れていますからね。だいたいどんな会社にも何人かいるし。いて普通だから、学歴が光らないという。
それに、 学歴が高いからといって仕事ができるわけではないという至極まっとうな本質論が出回っているおかげで、学歴自体の価値が低下しています。
その状態で、高学歴は目指すべきなのか?というのは、全ての教育者が再考すべき問題なのかもしれません。