ども!
しょうきちです。スープを堪能しながら失礼します。
週間もちもち動物園というブログの管理人をしております。
現在28歳、社会人5年目。一児のパパです。
ラーメンを食べることは自己投資だと思っています。
- 第二新卒プロ、しょうきちの自己紹介
第二新卒プロ、しょうきちの自己紹介
現在は仕事を解雇された関係で、現在はブログ一本でやっています。現在のブログ収入では、プロブロガーとはとてもじゃないけど言えない……
秋ごろに人材系の企業で働くことが決まっています。
そこそこジェットコースターみたいな人生を送っています。なかなかにアゲサゲの激しい人生だったので、下記にまとめてみました。
- 新卒で入社した会社で役員直属の新規事業配属になるも(アゲ)
- 役員が入社3ヶ月で社長と喧嘩別れ。部長も横領でタイーホ。会社を11ヶ月で辞める(サゲ)
- 第二新卒の転職を1ヶ月で成功させたが(アゲ)
- 入った会社がブラック企業で月に500時間労働。鬱に(サゲ)
- その最中、上場企業に人事にヘッドハンティングをされ宮崎に移住するも(アゲ)
- 3ヶ月で現場に飛ばされホームセンターの店員に(サゲ)
- 頑張ってリーダーに昇格するも(アゲ)
- 商品管理ができず、パワハラを受ける。さらにADHD発覚し退職(サゲ)
- 教育サービスの会社立ち上げに幹部として参画。さらに結婚!(アゲ)
- 謎理由で半年で解雇。子供が生まれて1ヶ月もたたないのに!(サゲ)
- 4回目の転職で奮起し、過去最高の内定10社。(アゲ)
- でも入社が秋!遅い!(ちょいサゲ)
- その間にプロブロガー並に成長すればいいんじゃね?(なう)
どうです、なかなかクレイジーではなかろうか!
ブラック企業の経験は、そんじょそこらの人には体験できない、ディープな世界でした。リクルート出身のマネージャーが入社1ヶ月で会社に来なくなったりしましたからね……
失敗ばかりしてきた僕の生い立ち
- 自分を頭がいいと勘違いしてきた幼少期
- できるやつを出し抜くには「弱者の戦略」しかないと知った学生時代
- 組織に馴染めなかった社会人
幼少期:覚えることが好き!デパートじゅうの車のナンバーを全暗記
僕の特徴は割と早期に出てきました。今でもよく言われるエピソードなのですが、とにかく暗記が好きで、デパートに行っては車のナンバーを1階分まるごと暗記してきたそうです(今はできませんw)
特定の分野において、異常な集中力を発揮するような子供だったようです。
読書も大好きでした。1日に平均15冊、本を読んでもらっていたそうです。特にお気に入りだったのは「はらぺこあおむし」でした。
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小学生は自分を神童と勘違い……でも、驚異的に不器用
暗記がとにかく強かったので、祖父は僕のことを神童と勘違い。僕のことを、とにかくデキる子だと扱ってくれました。
承認欲求の塊。モチベーションは褒められること
なので、うちには
- 賞状をファイルにまとめて祖父母の家に提出
- 毎回のテストを紐でまとめて祖父母の家に提出
こんなルールがありました。
祖父母は僕が点数をとってくるのが本当に嬉しかったようです。僕も褒められるのが嬉しかったので、祖父母に褒められることで承認欲求を満たしていました。
ただ、驚異的に不器用なのが弱点。
特に苦手だったのが「手作業」。図工や家庭科は大の苦手でした。手順を踏んで何かを作っていくのがとにかくできなかったり、つくったものが客観的にどう見えるかを想像するのが苦手でした。
ある時、図工で「なにか自由に表現をしてください」と言われたときの話です。僕は「飛行機が飛んでいて、それが激突して爆発を起こす」という流れを描きたいと思って絵を描き始めました。
それで、僕の頭の中では「飛行→激突→爆発」というプロセスを思い描きながら描いているのですが、出来上がった絵は「爆発」の状態になるので、客観的に見たら「紙をグチャグチャにしている」だけ。
当然、先生に怒られました。
また、家庭科であるあるのリュックサックを縫って作るという作業。先生の縫い方の説明を聞いても自分で実現できず、やる気をなくしてしまい、何時間もの間、ぼ~っとして過ごしていました。
当然、先生に怒られました。
(リュックサックは友達に全部縫ってもらいました)
きっと、扱いづらい子供だったんだなあと思います(これもフラグです)
趣味はスーファミ、64、ガンダム
スーパーファミコン世代~64世代です。ゲームキューブは持っていません。
とげとげタルめいろ一時間"スーパードンキーコング2"
【RTA】星のカービィ スーパーデラックス 100% 1:12:59
CM 任天堂 ゼルダの伝説 時のオカリナ (N64) 30秒まとめ
ここらへんのゲームはカセットがすりきれるくらいやりこんでいました。
あと、やたらとガンダムが好きでした。自分の肉体が有機物でできているのが気に食わなくて、自分自身がモビルスーツになるか、はやく身体を機械化できる時代にならないかと思っていました。早くも中二病ですね。
ちなみにお気に入りはハイゴッグです。
ROBOT魂 機動戦士ガンダム [SIDE MS] MSM-03C ハイゴッグ ver. A.N.I.M.E. 約105mm ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア
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自意識過剰だった中学時代
地元の中学に進学。自意識が肥大化し、なんだかいろんなものに喧嘩を売っていたような気がする中学時代です。
テニス部に所属していたせいか、腕力と握力が異常に発達した時期でもありました。そこでテニス部の先輩と肩パン(じゃんけんで勝った方の肩を殴ることを繰り返し、ギブアップしたら負け)やったりして、危険で尖った自分を演じておりました。大変香ばしい中二病ですね。
中3くらいには「納得できないモノには一切のリソースを割きたくない」性格が表に出始め、指導法が気に食わない先生がいたら遠慮なく内職をしたり、寝たりしていました。
ココらへんで、協調性やチームワークを学んでいたら後々苦労はしなかったのに、とよく後悔します……
勉強の要領悪すぎ!
さて、勉強に対しては少しプライドを持っていた自称神童、勉強の仕方がわからず惨敗。テスト範囲表に「教科書をよく読むこと」と書いてあったので、真に受けて教科書を読むことだけしていたら、平均点くらいしか取れませんでした。
小学生の同級生に、めちゃくちゃ笑われたのを覚えています……
要領のいい同級生が中1の中間テストでスタートダッシュを切る中、結果をだすまでに1年間かかりました。
受験
当時、ものすごく嫌いなサッカー部のキャプテンがいました。ことあるごとに、僕の悪い噂を流したりしていてですね……
しかも、志望校が同じだったんです。
そこでクソミソに泣かしてやりたいと思い、完全に身の丈に合っていない高校を志望校に選択しました。
志望校の偏差値は75。学年で行けるのは1人いればいい方の、いわゆる難関校というやつでした。到底、当時の僕の偏差値では行けるはずもなく。ここから死ぬ気の受験勉強が始まります。
登下校では自転車に乗りながら単語帳を開き、体育の授業は休んで教室で勉強。周りの雰囲気なんて気にせずに、ひたすらに勉強しかしませんでした。テレビもマンガも封印して、塾のオリジナルテキストをボロボロになるまでやり込みました。
今思えば、自分が周りと違う、難易度の高いことをやっていること自体に喜びを感じていたのだと思います。自意識過剰もいいところですね……
塾の先生には「正直、受からないと思う」と直前まで言われていましたが、苦手な数学が受験者平均点16点だったため、得意の国英で点数を伸ばすことができ、運良く合格することができました。
ちなみにサッカー部のキャプテンは志望校に落ちて滑り止めに通っていました。
現実の厳しさを見た高校生
そんなわけで、家から2時間半離れた私大の付属校に進学しました。当初は塾の広告に顔出しで載ったりと、承認欲求をそこそこに刺激されましたが、背伸びで入ったため勉強では中学の倍苦労しました。自分が劣等生に感じて本当に辛かった……
このあたりで自分が特別だという考えは幻想であり、現実には記憶力や地頭がとんでもなくいいやつがゴロゴロいるという現実を知りました。
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バンド開始。スピッツからヘビメタへ
僕の高校では大学進学が約束されていたため、バンド活動にのめり込みました。
最初はスピッツなんかを仲良くやっていたわけですが、何があったのか、気づけばヘビメタへ。フィンランドやスウェーデン、ノルウェーらへんの北欧のメタルをよく聞いていました。
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大学生
バンドでヘビメタをやったり、ヘンテコな小説を書いたりマンガを描いたりして、学祭で売ったりもしていました。なぜか外国人留学生にめちゃくちゃウケました。
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塾講師、電話営業でコミュ障を克服
昔から協調性のなかった僕ですが、ここらへんで「自分のコミュ力が著しく低い」ことを自覚します。そういえば、高校受験のとき、面接で緊張しすぎて落とされたこともあったなあ……
そこで、プレゼンをやりまくればコミュニケーション力は上がるだろうという安易な思想で塾講師のバイトへ。ある程度人前で喋れるようになったら、しゃべりで稼げるようにと営業のバイトへ。KDDIのネット回線をひたすら売りまくっていました。
プレゼン力を磨いた結果、ちょいちょい喋れるようになったので、プレゼン大会にも出るようになりました(いつもファイナリスト止まりでしたが……)
東日本大震災が来なければ。まさかの就職留年
「すごいと思われたい」という純粋な承認欲求の強さから、自分磨きのようなことはしてきたつもりでした。したがって、就活も成功するとしか思っていませんでした。
しかし、SPIで苦戦。自分のペースで問題が解けないため、集中できずに高得点が狙えませんでした。自分のペースを崩されるとストレスが溜まってしまうので、時間があれば問題なく解ける問題でも、頭の中がまっさらになってしまうことがありました。
それでも行きたい企業の面接には受かり、いよいよ最終面接を控えた3月のある日。東銀座駅で地下鉄に乗っていた時、東日本大震災が発生しました。
地下鉄は運行中止。地上に上がると街は人であふれ、タクシーもバスも捕まらず。ただならぬ雰囲気を醸し出していました。
「そうは言ってもゴジラが出現したわけでもないし」と日本酒を買って飲みながら10キロ離れた祖父母の家に歩いて帰る等、きわめて脳天気な僕でしたが、翌日の原発事故でやっと目が醒めました。ああ、これはやばいことなんだな、と。
メールボックスは企業からの連絡で洪水状態。僕らの就職活動に、震災の影響がじわじわと影を落とし始めました。
(そういえば、この頃トンボ鉛筆の採用担当が震災なんて関係ありませんと言って炎上しましたね……)
それからは地獄。最終までいった本命にはなぜか落ち、滑り止めだと思っていた企業にも落とされ続けました。100社受けて、本当に、1社も内定が出ませんでした。
落ちるたびに、自分が否定されているような気がしました。それを癒やすために不人気業界を受けて、それでも受からずに途方に暮れました。居酒屋も、パチンコ屋も、経験のある塾でさえも、最終で落ちてしまう。
そこらのテニスサークルのキャプテンなんかよりも、喋れるエピソードは充実しているはずです。バイトですが、営業の経験もあります。学歴も悪くない。それなのに、なぜ。
結局、夏の終わりまで就職活動を続け、就職留年をすることに決めました。人生でも3本の指に入るくらい辛い経験でした。この話はつい最近になるまで、友人にさえ言えないトラウマでした。
学生団体を設立、そして夢にまで見た内定
失意の中、以前プレゼン大会に出ていたつながりで、高校生向けに講演をやってほしいと言われて小さなセミナーに登壇しました。
その中に威勢のいい学生がいて、すぐに意気投合。就活をやめようかふらふらしていたときの僕はここぞとばかりに社会貢献の団体を作ってウェイウェイやりはじめました。
やっていたのは今で言う民泊ビジネス。それを学生のゆるふわ脳でシェイクしたような、甘い甘いビジネスモデルでしたが、農林水産大臣の前でプレゼンしたりと、運良く意識高くウェイウェイできていました。
しゃべれることが増えたからか、それとも震災から1年経って落ち着いたからか、就活でははじめての内定をゲット。上野のアメ横で内定のメールを見たのですが、嬉しくて、衝動的に2万のTシャツを買ってしまいました。
1社目:ITベンチャー
そんなこんなで「一丁かましたるぜ」と入社した会社でしたが、理想と現実のギャップは遥かに高いものでした。
3年で部長まで育て上げると握手してきた役員が速攻で辞め、所属部長は横領&ライセンス盗用でタイーホ。主任はなぜか中国に転職。少人数のベンチャーなのに、毎月すごい勢いで人が辞めていました。
そこで新人が何ができるわけでもなく。人がやめたことで肥大化していく業務を見て「これは泥舟だ、乗ってはいけない船だ」と悟り、会社を後にしました。
2社目:ブラック企業
会社が傾いたとしても、自分の力で好転できるようなスキルが欲しい。その思いで転職活動をし、圧倒的な成長ができると聞いたベンチャー企業に転職。その実態はというと……
この写真が全てを物語っていると思いますが、これが会社の朝5時です。椅子には脱ぎ捨てたカッターシャツとネクタイがかけられ、床には疲れ果てた社員が気絶しています。これが日常です。
- 休みの日に携帯に出ないと怒号がとぶ
- 0時を回っても、事務系の人以外誰も帰らない
- 会社に泊まる人は半数以上
- 売上目標達成はマナー。守れないと怒号。
- 任意だと聞かされていたミーティングを休んだら説教
- 午前一時にミーティングが入る
- 残業代なし
こんな毎日を続けていた結果、ついにうつ状態になり、退職することになしました。
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3社目:小売業で人事→販売
ブラック企業に入社し、いたずらに履歴書を汚しただけ……
もう2度と、まともな仕事には就けない……
失意の中の転職活動でしたが、上場企業にヘッドハンティングされるという展開。年収と待遇が両方共上がるという奇跡がおきました。
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しかし、ここで待ち受けていたのは大企業の罠。「社内恋愛禁止」「社長一族は絶対」などの古い体質に合わず、上司に嫌われてしまいます。上司からは人間性を鍛えろとか色々言われていました。
その結果、上司に虚偽の提案をされて現場に飛ばされてしまいます。2ヶ月だけ現場を学ぶという話を飲んで現場に行ったのですが、実態は販売員としての左遷でした。
自分の協調性のなさも大概ですが、上司に恵まれないなあ……
※ちなみにこの上司は社内不倫でクビになりました。人間性とは。
現場に配属になりました。もともと細かい作業が苦手な僕に、現場の仕事は1ミリも適正が出ず。しかも、僕は騙されて現場配属になってしまったわけですから、正直やる気なんてほぼありませんでした。
それでも毎日、どうやったらやる気が出るだろう、どうやったら販売が好きになるだろうと悩んでいました。
迷ってばかりの毎日でしたが、熊本の地震が起きたりして、何かと忙しかったです。
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次第に昇進してリーダーを任されましたが、商品管理がまるでできない僕は毎日のように店長から人格否定を受けました。
精神的に参った僕は、心療内科へ診察に。もしかして、うつが再発したのかな……
そう思っていると、予想を裏切る展開に。なんと、医師からはADHDの診断を受けたのです。
思えば、
- 特定分野での高い集中力
- 片付けや手作業が苦手
- 言われたことを真に受ける
- 自分のペースを崩されると混乱する
こうした幼少期からの傾向は、完全にADHDのそれでした。
驚いたと同時に、正直、安心しました。別に、自分が悪くて仕事ができないわけじゃないんだ……。この考えは、できないと言われ続けた僕の心を癒やしてくれました。
しかし、上司が病気を認めるわけもなく。僕に対してのあたりが弱くなることもなく。「病気は甘えなんだよ!」と、なかなかのブラック発言をもらったりもして。
その上、人事部長から「人事は子供のいる人間じゃなければ務まらんのだ」とか訳のわからん謎理論を展開され、遠回りに人事への復帰を拒絶されました。
これで残る理由もなくなり、退職に至りました。
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4社目:教育ベンチャーの立ち上げ
退職後。自分は集団生活に向かないことをイヤでも実感したので、やりたいことをやるなら自分でやろうと起業を考えていました。
ブログとスモールビジネスで月20万稼ごう、と。
そこで2ヶ月くらいはブログを頑張って書いていましたが、途中で教育ベンチャーにスカウトされて塾のマーケティングと人事をやることになりました。
事業コンセプトをまとめてピッチコンテストに出場し、入賞したり。
TVの取材を誘致したり、3つの自治体で事業構想をスピーチしました。
順風満帆に思えましたが、突然解雇に。若干経緯が複雑なので、これについてはタイミングを見計らって書いたり書かなかったりするかもしれませんw
子供が生まれて1ヶ月の解雇だったので、スタートしたばかりの家庭がめちゃくちゃになりました。
4回目の転職へ。第二新卒プロの誕生
子供と嫁を食べさせるためにも、4度目となる転職活動。ちょうど売り手市場のニュースもあったので、20代の終盤戦に一丁決めるつもりで頑張りました。
結果は2桁内定。1つも内定がとれなかった新卒のときと比べて、明らかな進歩を感じました。
中には「転職回数は多いけど、これだけ失敗をしているからこそ、一緒に働きたい」と言ってくれた経営者の方もいて、今までの紆余曲折がムダではなかったと思えました。
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この想いから、転職や就活で悩んでいる人の助けになるような記事を書き、本当に使ってよかったと思えるサービスを紹介したいと思ってブログを続けています。
週間もちもち動物園のこれから
週間もちもち動物園は、目指していることが2つあります。
- ブラック企業のストーリーを出版し、非道な労務体制の愚かさを伝えたい
- 転職に有益な情報を提供し、内定が出ずに悩む人の支えを作りたい
特に、昔から文章が好きだった自分としては、自分の筆で本を出すというのをやってみたいです。
今後も面白く、有益な情報を書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!