僕は、服を買いに言ったのに手ぶらで返ってくることがよくあるのです。
理由は「何か損をした気がするから」です。
そのため、ユニクロのセールで買う3桁の服を使いまわすことで、自分の洋服購入費に対する損失額を減らそうとします。服を買いに行かず、だんだんダサくなっていくお父さんの何割かは僕と同じ感覚なのでしょう。
なんとなく気になったので、購入プロセスを言語化してみることにしました。
店に入り、物色
服を見ること自体は好きなので、服屋さんにはちょくちょく行きます。
しかし、基本的に高いものは端から眼中にありません。僕が欲しいのは安くてそこそこかっこいいやつです。セカンドブランドだったり、9万10万するハイブランドのジャケットをパクった2万くらいのジャケットとかそういうやつです。
セールのかごは大好きです。なんとしても、そこだけは絶対見ます。
お気に入りの服を見つける
やっとこさっとこ、コスパが良くてまあまあかっこいいやつを見つけます。
かっこ良くて、元値がそこまでしない上に20%引きとかの割引タグもついているやつです。コスト良し、見た目良し。ちゃんと買う理由も揃いました。
値段を凝視し、立ち止まる
しかし、ここいらで「本当に買っても良いのだろうか」的な、ものすごい罪悪感みたいなやつに襲われるのです。何故か全くわからないんですけど、買うと申し訳ない、悪い(誰に?)みたいな感覚がするんです。
値段とその金額に要する労力を天秤にかけ始める
だいたい、下記のようなものと値段を比較し始めます。そして、途方に暮れます。
- 金額を稼ぐために要する労力
- 金額を稼ぐために要する時間
- 金額と同程度の別の商品
- 金額を同程度の貯金
服を買う「意味」を考え始める
「そもそも何で服を買いに来たんだっけ」
「服を買うことによって僕の生活が定量的にどれだけプラスになるんだっけ」
「世界の子どもはメシも食えないのに僕はTシャツを何枚も持っていながらこのTシャツを買っても良いんだっけ」
みたいなクソどうでも良いことを考え始めます。既に店に入ってから1時間半は経過しています。
長期間服を買っていないことに誇りを感じ始める
そういえば半年服を買っていないから自分は倹約家だ!偉い!みたいな、謎の優越感みたいなものを感じ始めます。そして、それを理由に買う行為に対して敵意みたいなものを感じ始めます。だいたい、これを考えながら店内を10周くらい歩き回っています。
「買う」と「買わない」が拮抗し、もやもやする
悩みながら、手にとった商品を上げたり下げたりしています。
帰ってから気になったらまた買いに行こうと、もやもやを落ち着ける
買わない=損をしないという、非常に消極的な結論に帰着し、一旦心を落ち着かせます。ここいらで2時間半くらい経っています。
修行に耐えたみたいな爽快感を感じている
頑張ってよかった、我慢してよかったみたいな爽快感、充実感みたいなものを感じています。当然ですが、僕のファッションは何も変っていません。しかし、心地良い疲労と我慢したことによる精神的充足を感じており、それを購入した満足感に置き換えているためなんとなく満足出来ているのです。もう一度言いますが、僕のファッションは何も変っていません。
結局買いに行かない
しかし、店には行きません。商品のことを忘れてしまったのでしょうか。いいえ、勿論覚えていますし、買いに行きたいのです。ところが、買いにいかないのです。損をする気がするからです。
昔からこうだったかというと、そうではありません。
5万のジャケットをペンっと買ってしまうような時期もありましたし、月にバイトで10万稼いでそれを全部服に使うような時期もありました。しかし、今はなんというか、服の購入費をとにかくケチってしまう。
思えば、学生時代は服を買うことを「他人から見られるから」みたいに、評価の指針を担保するために行っていたような気がします。だから社会人になって、私服は人(=自分の社会圏内に属している人)に見られないからいいや、みたいな感覚が芽生えてきたのかもしれません。
何のために服を着ようか。
悩んでも悩んでも、今後は答えが見つかるのか、不安です。