知覧到着。
宮崎の都城から車を走らせ、とうとうやってきました、知覧!
きっかけは、友人の本棚にあったこの本。これを見てなんとなく行きたいと想っていたけれども、ずっと行けていなかった。
知覧観光。散策してみるよ
とりあえず、名物の知覧茶を買う(笑)
歩いていると、隼ラーメンっていうラーメン屋さんがありました。戦闘機の隼にかけているんだね。
平和公園内に入ると、雰囲気が変わる
と思ったら、ちょうど隼が。近くではツアーガイドのお姉さんがおじいちゃんを大量に引き連れて戦闘機の説明をしていました。
ここまでは 普通の博物館的な気持ちで見れていたのですが。
慟哭の中に。
何人かの方が鐘を鳴らしていました。低い音が遠く響く。
特攻平和記念館に近づくごとに、雰囲気が変わります。静かな中、遠くに聞こえる野球少年の掛け声をきいていると、永遠につづく昭和の夏の中にいるように錯覚します。
特攻隊員が暮らしていたという、兵舎。
中には生活スペースが。ここには全国の女学生から励ましとして人形が届けられていたという。
圧倒。知覧特攻平和記念館の男の決意を見よ。
さて。知覧特攻平和記念館に入っていきます。
この記念館ですが、当然展示物があります。
何をメインに展示されていたと思いますか。
特攻機の模型?
歴史年表?
いえ、「人」です。「戦没者」です。
正確に言えば、「戦没者の写真と絶筆」です。
チケットを買って、映像パネルを通り過ぎ、展示部屋に入った途端。
あたかも部屋に入った僕らを取り囲むように、402人の遺影のパネルが並べられている。傍には特攻隊員が出撃前に書いた遺書も。部屋全体が、死に行かんとする強い決意で埋め尽くされていました。
「一」、「死」、「沈」。知覧特攻隊員は何を想ったか
遺書、絶筆の中に、やたらと目につく言葉がありました。
「一」と「死」と「沈」です。
「一」。自分の攻撃はたった一回。チャンスは一回だけ。一撃必殺、一回の攻撃で必ず仕留めるという気合。一回の出撃に、自分が生きた人生の、全てを賭けるのだ。
「死」。飛び立てば、自分は必ず死ぬ。成功も失敗も関係ない。どちらに転ぼうとも、たどり着くのは絶対に死。
「沈」。自分の死と引き換えに、必ず敵艦を沈める。必達の目的。人生の全てをかけて、轟沈せしむことを祈る。
こんな言葉が若干20歳の若者から出てくるものなのか。
迷いのない文字に、知覧特攻隊員の気迫を見る
さらに物凄いのは、書いてある文字が震えのない、迷いのない字で書かれていることです。自分の死が確定した極限の境地で、 こうも迷いを捨てられるものなのか。
人生の総決算。何も言うことなし。
中でも圧倒的だった、伍井大尉の言葉。迫力がありすぎてめまいがする。
決算とは何か。締めくくりだ。続いていた何かを終わらせることだ。続いてきたものが複雑なほど、やり方が中途半端なほど、決算はもつれる。逆に、やりきれたことの決算ほど、清々しいものはない。
人生をやりきるとは、達成するとは何か。僕は自分の人生に、達成の片鱗すら見出すことはできない。前職で働きすぎて過労死したとしても、それが総決算だなんて納得できない。そんな死に方に納得なんて思いたくないからだ。
だから、特攻して死ぬことを人生の総決算としてまとめあげたこの言葉に、恐ろしいほどの迫力を感じる。これを形容するのは難しいけれども、アスリートの鋭い所作から感じる迷いのなさ、それに対する畏敬の念にも似ているかも知れない。